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サティヤムを貴方



編む必要のない娘 1


 山あいにあるマライ村では、結婚が決まるとサティヤムと呼ばれる髪紐を互いに贈り合う。婚約者となる相手を想いながら編んだそれで髪を結わえるのが、昔から伝わる風習なのだ。
 そして婚約者のいないサディーナはサティヤムを編む必要はなく、その長い髪は茶色の麻紐で素っ気なく縛られていた。

   ***

「姉さん、わたし求婚されたわ!」
 サディーナが夕飯の仕度をしていると、二歳下の妹が帰宅するなり興奮気味にそう報告してきた。
「あらあら、おめでとう」
 野菜を刻む手を止めて、サディーナは妹を振り返る。紅潮した顔が可愛くて、自然と顔が綻んだ。
「だから姉さん、今日からサティヤムの特訓をして頂戴。彼に世界で一番素敵なサティヤムを贈りたいの」
「もちろんよ。どんな風に編むか、もう決めているの?」
「色は決めたけど、文様はどうしようか迷っていて……」
「そう。それならあとで糸を合わせながら考えましょう」
 だからまずは夕飯の仕度を手伝ってねと言うと、ようやく少し落ち着きを取り戻した妹は、姉の言いつけに応えて竈に火を起こした。



「妹に先を越されて、サディーナはどうするんだい。このままだと一生独り身だよ」
 マライ村は一年を通じて雨が少なく乾燥しているが、短い夏の時期だけ雨の日が増える。そして今日も朝から雨だった。
 雨の日は洗濯もできないし、畑に出ることもできない。やることがなくて暇を持て余した伯母がサディーナの家を訪れていたのだが、彼女よりも先に妹の結婚が決まったことに対してそう口を挟んできた。
「どうしましょうかねえ」
 機を織りながらサディーナが苦笑いを浮かべると、伯母はじれったそうに溜息をついた。
「まあまあ姉さん。気負ったところで結婚なんて、相手がいなけりゃどうにもならないんですから」
「だからのんびりしてたら駄目だと言っているのよ。村の独り身の娘の中では、サディーナが一番年上じゃないか。さっさと誰かを捕まえないと、相手がいなくなっちまうよ」
 母がやんわりいなそうとしたものの、気の強い伯母は今度は母に説教をはじめてしまった。母はのんびりとしていて、サディーナの性格は母ゆずりだ。一方伯母ははっきりした性格で、そのせいか男女を問わず友人たちから頼られてはいたものの、色恋とは縁遠かったらしい。最終的には妻を亡くした年上の男性と一緒になったが、結婚するまでは周囲から行き遅れだ何だと勝手なことを言われ、随分と辛い思いをしたそうだ。だから危機感のない姪のことが、じれったくて仕方ないのだ。

 サディーナの親友のカジャルは、許婚だった幼馴染のラビと結婚した。そしてもうひとりの親友のイーシャは、隣村のハオの元へ嫁いで今は二児の母だ。同い年の彼女らも、ひとつふたつ年下の子たちもここ数年で次々と結婚しているので、気づけばサディーナが未婚の娘の中では最年長になっていた。
 姪に自分と同じ思いをさせたくない伯母は、昔からことあるごとに早く相手を捕まえておけなんて口うるさく言っていたけれど、そんな簡単な話ではない。カジャルのように親同士で許婚を決めるような家柄でもなく、イーシャの家のように他の村に伝手があるわけでもない。もっとも、村の外に住んでいる親戚などの仲介があるわけでもないのに、自力でイーシャの相手を見つけて来た彼女の父の行動力はかなり特殊なのだけれど。とにかく、サディーナは自力で相手を見つけるしかなったのだが、別に意中の相手がいたわけでもないので、元来のんびり屋の彼女は自分から動くこともなくこの年まで過ごしてきた。

「おばさんの心配はありがたいけど、こればかりは頑張りようがないんですもの。年が近い男衆は皆、もう既に決まった人がいるし」
 だから自分は一生独り身だろう。言外にその未来予想をにおわせながら、サディーナは伯母を刺激しないように言葉を選びつつそう言った。実際、彼女はそれを何でもないことだと思っていた。妹は結婚すればこの家を出て行くことになるので、自分はこの先もずっと両親と一緒にいよう。ごくごく自然にそう考えていたのだ。
「だから、早く誰かに決めておきなさいと言ったのよ」
 誰かを好きになったとて好きになってもらえなければ結婚できないのに、まるでサディーナさえその気になれば選んでもらえるかのように話す伯母は、完全なる身内贔屓で少し可笑しい。思わずサディーナがふふっと笑うと、じろりと睨まれてしまった。
 年の近い子たちとは男女を問わず皆仲が良かったけれど、そこに恋愛感情が生まれるかは別問題だ。小さい村なので同年代の子供の数は知れていて、当然ながら男女が同数なわけでもない。だからもちろんあぶれる者もいて、それがサディーナになるだけの話なのだ。

「そうだ、あの子がまだ独り身だったんじゃない? 確かジンと言ったかね。ジンなら少しばかり年上だけど、別に釣り合いはとれているし良いじゃないか」
 サディーナが相手を見つける気がないことを察した伯母は、しばらく眉間に皺を寄せたまま茶を啜っていたのだが、やがて名案が浮かんだとばかりにぽんと手を打った。
「ジンって、山への入口近くにある家の、ひょろりと背の高い子のこと? 姉さん知り合いなの?」
「いいえ、喋ったこともないわ。だけど若い男で独身なのはあの子くらいで、向こうも嫁のもらい手をきっと探している筈よ。口数は少なそうだけど悪い噂は別に聞かないし、誰かに紹介してもらって近づきになってみなさいよ」
 これ以上の妙案はないと言わんばかりにそう主張する伯母に、サディーナは機を織る手を止めた。
「おばさん、わたし本当に今のままで幸せなのよ」

 マライ村は小さな村なので、村民は全員が顔馴染だ。けれども関りがなければ話したことがない人も当然いて、ジンという青年とは少し年が離れていることもあり、言葉をかわしたことはなかった。言われてみれば実際彼はまだ独身だが、嫁のもらい手を探しているという噂を聞いたわけでもないし、急に仲良くなりにいくなんてあからさま過ぎてできる筈がない。そもそもそれは、ジンに対しても失礼な話だ。彼のことが本当に好きならば話は別だが、結婚するという目的だけの為にそんな捨て身の体当たりをしなければならない程、サディーナは今の自分を不幸だと思ってはいなかった。
 確かに伯母が心配するとおり、あけすけな物言いをする一部の村人たちは、年頃なのに結婚の予定のないサディーナに最近やたらとその話題を持ちかけてくる。妹が婚約したので、これからますますそういった機会は増えるだろう。けれども両親はサディーナが好きなようにすれば良いと言ってくれているし、だからこうやって好きな機織りをしながら穏やかに過ごせればそれで幸せだと思っているのだ。
「……分かったわ」
 サディーナがきっぱりとそう言って微笑むと、伯母は大きく溜息をついた。そしてそれ以上は何も言わなかった。

 マライの娘は結婚が決まればサティヤムと呼ばれる髪紐を互いに贈り合う。それで髪を結わえるのが昔からの風習なのだが、相手のいないサディーナの髪は茶色の麻紐で素っ気なく縛られていた。確かに誰かを想ってサティヤムを編んでみたかったという気持ちはあるけれど、代わりに機を織れば良い。色と文様の組み合わせを考えて機を織るという、その楽しみには未婚も既婚も関係ないのだ。
 外はまだ雨が降り続いており、ぱたぱたと雨粒が落ちる音が聞こえている。
 サディーナはかたんかたんと一定の拍子でもって緯糸を打ち込み、その間にするりと杼を滑らせる。こんな穏やかな時間がこれからも続けば良い。そんな風にのんびりと願いながら、サディーナは同じ動作を淡々と繰り返した。



2020/06/20

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