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十二の月を



自覚する秋


< 神無月 >

昨日まで白かった景色が、紺に変わる。
まだ強い秋の日差しに汗ばみながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ういーす。暑いな、しかし」
「おはよ。もう、この坂道がきついんだよな。ここで絶対汗かくから、しばらくは夏服にして欲しいんだけど」
そうだそうだと友が大袈裟に頷く。この会話も、毎年恒例で三回目だ。
「まあ、社会人になったら毎日スーツなんだろうけどさ」
そう溜息まじりに言うと、隣で悪友は盛大にショックを受けていた。
「そうだ。今年で解放されると思っていたけど、四年後は真夏もスーツじゃん……」
あまりにも本気で落ち込んでいるから、とりあえず四年間は自由だし、四年後も職業を選べば自由だしと慰めてみる。

聞き慣れた笑い声に、ちらりと後ろを振り返る。紺色のブレザーを纏ったあの子がいた。
ああ、夏服を着るのは昨日が最後だったんだと、当たり前のことを思う。

「何だよ、急に黙り込んで」
不意に隣から肘で突かれた。
「おまえの夏服姿も昨日で見納めだったから、ちゃんと瞼に焼きつけておけば良かったと後悔してるとこ」
「うっわ、キモ。おい見ろよ、鳥肌たったぞ!」
「ちょっと涼しくなっただろ」
「寒気がしたわ!!」
両手で自分の腕をさすっている友の姿に、堪え切れなくなって笑い声をあげる。つられるように、友も笑う。

「おまえ、久しぶりに笑ったな」
ふたりで散々笑い転げたあと、不意に奴が言った。
「何言ってるんだよ。いつも笑ってるじゃん」
「おまえさ、作り笑い下手なんだよ」
俺は何も言えなくて、ただ奴の目を見つめることしかできなかった。
「そんなに見つめるなよ。悪いが俺は、おまえの気持ちに応えることはできん!」
アホかと言いながら、思い切り奴の尻に蹴りを入れる。
そうして見上げた空は、吸い込まれそうなくらい青かった。





< 霜月 >

担任の机に日誌を置いて職員室を出たら、彼女がいた。去年同じクラスだった、俺の想い人。
「あれ、久しぶり」
彼女も俺に気づき、去年と変わらぬ笑顔で声をかけてくる。
「久しぶり」
「三年になって、全然会わなくなったよね。教室の階が違うし、選択科目とかもかぶってないし」
そりゃそうだろう。だって俺が避けていたから。
彼女に特別な人ができたのがショックで。彼女の特別になれるんじゃないかと微かに期待をしていた自分が惨めで。
彼氏ができた彼女に今更自分の想いを告げるわけにもゆかず、俺は行き場のない想いを持て余していた。そして導き出した答えが、余計な感情を呼び起こさない為に、彼女を視界に入れないということだったのだ。

「そういえば、今もあの曲聴いてる?」
「聴いてるよ。先月出たニューアルバムもちゃんと買ったし」
「わたしも買った。あれのさ、最初の曲がすごく好きなんだよね。通学途中とかずっと聴いてるもん」
「あ、あれ、俺も良いと思った」
もう自然に彼女と会話をすることなんてできないと思っていたのに、驚くくらい簡単に言葉が零れていた。
懐かしさと嬉しさが、同時にこみ上げてくる。
ずっとこんな風に気のおけない友達で、彼女は変わらなかったのに俺の気持ちだけ変わっていって。一年近くかけて、また戻ってきたのだ。

「あのさ、わたし東京の大学に行くつもりなんだ」
「へ?」
唐突に話題が変わり、思わず彼女の顔を見つめる。
「父が転勤になってね。ちょうどわたしも卒業だし、単身赴任じゃなく家族みんなで引越すことになったの」
「彼氏は?」
「もともと彼は東京の大学が第一志望だったから」
「何だ、びっくりした。せっかくつきあってるのに遠距離になるのかと、一瞬心配したじゃないか」
その言葉は虚勢なんかじゃなく正真正銘の本音で、心底ほっとしている自分に驚いた。
あの気持ちは絶対消せないと思っていたのに、いつの間にか昇華されていたのだとようやく気づく。

誰もいない教室で、じっと窓の外を眺めていた。
赤く色づいた葉は風が吹くたびにはらはらと舞い、もう半分も枝には残っていない。先程まで自分と喋っていた彼女が、彼氏と並んで校門へ向かって歩いて行く姿が見えた。茜色に染まる夕焼けの中に、ふたりの長い影が伸びている。
悲しいわけじゃないけれど、やっぱり少し切なくて。
ふたりの姿が消えたあとも、ただぼんやりと暮れなずむ校庭を眺めていたら、不意に教室の扉が開いた。





< 師走 >

通知票とプリント類を鞄に入れ、机やロッカーの中に忘れ物がないかを確認する。
二学期の終業式が終わり、クラスメイトがぽつぽつ下校して行くが教室の中はまだ賑やかだ。三学期は自主登校になる為、殆どの奴とは卒業式まで会わないだろう。
そう思うとひとつひとつの動作が、この時間を惜しむようにゆっくりになる。

扉の横で立ち話している女子のグループを、ちらり盗み見る。あの子の横顔が、笑ってる。
春以来この教室で、無自覚にあの子を視線で追っていたことに気づいたのはつい最近のこと。そして俺は、自分の気持ちの変化を今更ながら自覚したのだ。
あの子とはあと何度会うことができて、そのうち何回言葉を交わせるのだろう。
知らぬ間にひっそりと育ったこの想いを伝えたいという気持ちと、互いに入試本番を控えたこのタイミングでの告白はまずいだろうという気持ちが交錯する。そうして湧き上がる苦い思い……。
いや、もう二度とあんな後悔はしたくないから。
「そろそろ帰ろうぜ」
友人に声をかけ、席を立つ。

「バイバーイ。良いお年を」
「またねー、って次は卒業式か?」
いつも通りテンションの高い女子の皆さんの脇をすり抜け、扉を開ける。廊下の冷気が、ストーブで温められた教室に流れ込む。
不意に、俺は振り返った。
目が合って、驚いた表情で小さくバイバイと手を振ってくれたあの子に念を送る。
いつか近い未来にこの想いを告げるから、願わくば、どうか受け止めて。



2009/08/26

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