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十二の月を



心奪われる夏


< 文月 >

今まで一度も勝ったことのない相手に競り勝ち、またこの仲間で戦えるチャンスができた。
ペットボトルの水を飲み干し、汗をいっぱい吸い取ったタオルをスポーツバッグに捻じ込む。
「おまえらも今日が試合だったのか?」
不意に背後から声をかけられる。振り返ると、バスケ部の主将がいた。
学校から電車で一時間ほどの場所に位置するこの県営スポーツセンターは、グラウンドとふたつの体育館とプール、テニスコートを備えており、殆どの運動部はここで試合をすることになる。
「おう、今日が一回戦」
「そうか。俺らは今日が二回戦だったけど、あっさり負けたよ」
いよいよ受験勉強から逃げられなくなるなと、自嘲気味に呟く。
「そっちは勝ったんだろ。少しでも長く夏を粘れよ」
そう言うと、後輩に呼ばれた奴は他の部員たちの輪の中に戻って行った。

気づかないふりをしたけど、その目は少し赤かったと思う。
俺も最後は泣くのだろうか……。

本部に行っている顧問とマネージャーは、そろそろ戻って来る頃だろう。散り散りになって涼んだり水分を補給している部員たちを呼び集めておいた方が良いなと思い、周囲を見渡した。
ふと、中庭の木の下で目が留る。
真っ白のユニフォームの背中に付けられたゼッケンが、同じクラスのあの子だと告げていた。
すらりと伸びる小麦色に焼けた腕はタオルをきつく握りしめ、顔に押し当てている。
高い位置で結んだ髪が数本落ち、汗でうなじにぺたりと貼りついていた。
耐えるように、押し殺すように。その細い肩が微かに震えている。
背後のグラウンドから聞こえる応援の声も、選手を呼び出すアナウンスも、すべての音がその瞬間に消え。
俺はただ、彼女の夏の終わりを、息をひそめてじっと見つめていた。
震えていた肩に力が入り、刹那、彼女が空を仰ぐ。
つられて夏の空を仰ぐと、憎らしいくらいに空は青く。その瞬間、再び一斉に蝉が大音響で鳴きはじめた。





< 葉月 >

「あっちいなあ」
青い空に白い入道雲。太陽から放たれる、痛いくらいの日差し。
「ああー、もう溶けそうだ」
校舎を囲むように配された木々。その濃い緑の中に潜む、蝉の大合唱。
「暑くて死ぬ……」

「暑い暑い言うな! 余計暑くなるわ!!」
隣でうわ言のように暑いを繰り返す友をじろりと睨む。
一年で一番暑い八月の、一日で一番暑い午後二時。夏期講習を終えて下校する。
「だってさ、オレらの夏は終わった筈なのに、いつまでも暑すぎるんだよ……」
恨めしそうに呟く奴の視線の先には、真夏の太陽の下で汗と泥にまみれて走る後輩たちの姿があった。
「何か飲んで帰るか?」
そう尋ねると、友は一も二もなく同意する。校門のすぐ先にある駄菓子屋は、部活帰りに毎日のように立ち寄った ‘行きつけ’ の店だ。 薄暗い店内に入ると、ひんやりと湿った空気が漂っている。ポケットから小銭を出して、冷蔵庫からよく冷えた瓶を取り出し、紐で吊るされた栓抜きで王冠を開ける。
店先で腰に手を当てごくりごくりと呷ると、シュワシュワと喉の奥で炭酸が弾けた。瓶の半分くらいを一気に飲み、大きく息を吐く。そして、何気なく店の脇の方を見た。トタンで継ぎ足された庇の下に簡素なテーブルと椅子が置かれ、うちの学校の生徒ばかりが何人か陣取っている。
その中にあの子がいた。イチゴ味と思われる赤いシロップがたっぷりかかったかき氷を口に運びながら、いつも一緒にいる同じクラスの女子と何かの話題で盛り上がっている。

あ、笑っている。
彼女の笑顔を見て、俺は無性にほっとした。

「どうかしたのか?」
隣から訝しげに声をかけられる。
「別に。ただ暑いなあと思って」
そう誤魔化すと、暑い暑い言うなと小突かれた。





< 長月 >

あの子の視線の先を追うと、澄んだ空が広がっていた。その色の違いに、夏が終わったのだと気づく。
そう言えば、今までも同じようなことがあった。鉛色の空から落ちる雨とか、太陽に向かって咲く向日葵とか。 あの子の視線の先には、いつも季節の変化があるような気がする。

「おい、何サボってんだよ」
ゴミ捨て場から校舎へ戻ろうとしたら、不意にそう声をかけられた。
「ちゃんと仕事してるじゃねえか」
たこ焼きを食べながらのんきに声をかけてきた友人の方がどう見てもサボっていて、俺はゴミ捨て場に置いたばかりのダンボールを指さして抗議した。
「天高く馬肥ゆる秋か……」
ところが俺が運んだダンボールには目もくれず、どこまでもマイペースな友はひとりごつ。
「おい、無視かよ」
とりあえず突っ込んでおいたが、しかし奴はまたも華麗にスルーした。
「馬が肥えるくらいだから、俺も太るわけだ」
「はあ?」
「部活引退したら、三キロも太ったんだよ」
「こんなのばっか食ってるからだろ」
そう言って、たこ焼きを奪い取る。素人が作ったにしては、予想外に旨かった。

「いい天気だなあ」
隣で奴が空に向かって大きく伸びをする。何だかすごく気持ち良さそうで、俺も真似てみた。
スピーカーからは軽快な音楽が流れ、校舎からは模擬店の呼び込みの声が聞こえる。
「さてと、焼きそばでも買いに行くか」
「卒業までに十キロ増だな」
にやりと笑って腹をつかむ。
「今日だけだよ。高校最後の文化祭なんだから、楽しまないと」
そう言って明日も何か食っていそうだけど、楽しまないとという意見には同感なので、先を行く友の背中を追いかけた。



2009/08/14

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