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イトコ



そして自覚 2


 十一月に入ると、吹く風が急に冷たく感じられるようになった。特にこの週末は冬型の気圧配置で、灰色の雲が太陽の光を遮り昼を過ぎても一向に気温が上がらない。
 風が吹くと店の引き戸がカタカタと揺れ、その度に圭介は何となくそちらを見やった。
「おい圭介、寒いのか? ぼんやりしてるとおまえの分も全部食っちまうぞ」
「何だヤワだな。毎日寒空の下で走ってるんだから、寒さには強い筈だろ?」
「別に寒いなんか言ってないし。おい、人の肉食うなよ」
 鉄板の上にあるお好み焼きと焼きそばをものすごい早さで平らげながら、星田と照井が笑った。夏以降は新人戦に向けてずっと練習を積んできたのだが、その大会も終わったので今週の練習は平日の放課後のみだ。 久々に週末に部活が無いので太一とゲームでもしようと思って声をかけたら、何故か星田と照井までついて来たのでこうして四人で遅い昼食をとっている。

「あーあ、俺たちもカラオケ行きたかったな」
「何気に世の中は、男子差別が多いと思うんだけど」
 ふたりは先程から同じことを何度も愚痴っている。どうやら今日はE組の女子でカラオケ大会が開かれているらしく、それを聞きつけた星田と照井が参加したいと言ったらきっぱり断られたというのだ。美奈が貰ったという割引券が女子会限定のクーポンだったので、男子禁制となったらしい。
「美奈の歌、聞きたかったな。超上手いって評判なんだけど」
「ハナとか何を歌うのか興味あるよな。あと、志穂ちゃんも」
 だらだらと続くふたりの会話を適当に聞き流しながら焼きそばを食べていた圭介だったが、星田が最後に付け加えた名前に思わずむせそうになった。
「おまえら、女の話以外に話題は無いのか」
 今まで黙っていた太一が、呆れたように溜息をつく。
「無い!!」
 当然だろとでも言うようにふたり揃って断言したので、圭介と太一は呆れたように顔を見合わせた。

「てゆうかさ、太一はちょっと彼女がいるからって余裕かましすぎなんだよな」
「そうそう。いつも上から目線なんだよ」
 太一の余計な一言に火がついたふたりは、一気に矛先を彼に向ける。女子高に通っている彼女とは中学時代からの付き合いだという太一のことが、ふたりは羨ましくて仕方がないのだ。
「なあなあ、太一の彼女ってどんな子? 紹介してよ」
「絶対に嫌だ」
「何でそんな即答なんだよ。失礼な奴だな」
「馬鹿には紹介せん」
「何をー!! てゆか、彼女の友達紹介してくれよ」
 何だかんだ言いながら、太一とふたりは仲が良い。三人のやりとりを見ながら、あまりにも必死なふたりの様子に圭介は笑いを噛み殺していた。

「そう言えば、同中なら圭介は太一の彼女知ってるんだろ? どんな子、可愛い?」
「まあ、可愛いんじゃないか」
 無口な圭介に話しかけてくる女子は志乃や美奈くらいだったが、さして面識も無い彼女は果敢にも声をかけてきた。太一のことが好きだから彼のことは何でも教えて欲しいという彼女は健気で可愛らしく、気の利いたことは何もできなかったけれど密かにふたりが上手くいくことを願っていたのだ。 そんなことを懐かしく思い出していると、不満気に照井が言った。
「太一はともかく、圭介は何でそんなに余裕なんだよ。実はこっそり彼女いるのか?」
「いるわけないだろ。別に余裕でもないし」
「じゃあ、もっと俺たちの会話にのっかってこいよ。妄想トークは思春期男子の特権だろ?」
「何か嫌だ。ほっしーとテルと同じカテゴリーには入りたくない」
 そう言ってお好み焼きの最後のひと切れを口へ運ぶと、隣で太一がそれは分かると深く頷いていた。

 母が用意してくれたお好み焼きと焼きそばは全て四人の胃袋の中におさまり、鉄板の上は何も残っていない。昼の営業を終えて夜までは一旦クローズになるので、店内には他に客はいない。両親も休憩の為に家の方に戻っているので、星田と照井のトークはどんどん加速していった。
「圭介って、どんな子がタイプなの? てか、好きな子いるの?」
「それ気になる。圭介からそんな話聞いたことないよな」
 俄然テンションが上がってきたふたりに圭介は若干引きながら、グラスの中の麦茶を飲んだ。助け船を出せと隣を見やったが、太一も面白そうな顔で答えを待っている。
「いないよ。そんなの分からん」
 投げやりに圭介がそう答えると、三人から盛大に溜息をつかれた。敵はふたりだと思っていたが、どうやらひとり増えたらしい。
「おまえ本当に十六歳か? 実は六十歳の間違いじゃないのか?」
「高校生なら普通は彼女欲しいだろ。彼女とデートしてちゅーしていちゃいちゃして、ほら色々あるじゃん」
「その手、やめれ!」
 いかがわしい手つきの照井に手元のおしぼりを投げつけると、照井が不意に真顔になった。
「もしやおまえ、女を愛せない性質なのか……」
 一瞬発言の意図が分からずに圭介がぽかんとしていると、星田も悪ノリしてくる。
「悪いな圭介、俺は無理だ。俺は男より女の子が好きなんだ」
 ようやく意味を理解した圭介が馬鹿ふたりに投げつける物はないかとテーブルの上を探していると、その隣で太一が腹を抱えて笑っている。一度ツボに入ってしまうと、太一はしばらくこのままの状態だ。

 別に今までも好きな子がいなかったわけではないし、ましてや男が好きなわけではない。恥ずかしいから絶対に口にはしないが、圭介だって健全な男子なので妄想や欲望はたぶん星田や照井並みだと思う。
「俺は、部活が忙しいし」
 けれども今の圭介にとってのプライオリティは陸上だ。放課後は遅くまで練習があり、試合前は休日も部活に費やされる。もし仮に彼女ができても、一緒に過ごせる時間は限られているのですぐに愛想を尽かされてしまうだろう。
「はあ? そんなのただの言い訳だろ。だって、同じ陸上部でも彼女持ちいるじゃん」
 珍しく照井に正論を吐かれ、思わず圭介は黙り込んだ。そうなのだ。陸上部でも、もっと練習がハードな他の部活でも、彼女持ちは実際にたくさんいる。要するに、部活は臆病な圭介の隠れ蓑にすぎなかった。
「良いんだよ、俺は。どうせ口下手だし」
「結局、圭介はそこなんだよな」
 ようやく笑いがおさまった太一が、急に真顔になって言った。
「昔からおまえは、どうせどうせって壁を作ってるんだ」
 会話が続かなくて疲れるとか、無口でとっつきにくいとか、周囲のそんな評価は当人の耳にも届いている。親戚からは社交的な兄と比べられて、可愛げが無い子供だと評されたこともある。だからいつしか、自分を理解してくれている家族や友人たちにだけ分かってもらえれば良いじゃないかと思うようになった。そうすれば、偶然自分の噂話を耳にしても必要以上に傷つくことはないのだ。

「何か勿体ないなあ」
 これまで黙って聞いていた星田が、ぼそりと呟いた。
「口下手とか口上手とか関係無いじゃん。好きな子には色々聞きたいと思うし、色々伝えたいと思うし、そんな構えるようなことじゃないと思うけど」
「おお! 出会ってはじめて、ほっしーがまともなこと言うのを聞いた」
「ほっしー、カッコ良い!」
 星田の発言に、太一と照井が横から茶々を入れる。おだてられて気を良くしたのか、星田もわざと胸をはって得意気な顔をしている。
「で、圭介はどんな子がタイプなの?」
「はあ、まだ言うか?」
「当たり前だろ。今日はそれを聞くまで帰らんぞ」
 いつもふざけてばかりいる友人の言葉が圭介の胸に刺さったのだが、当の本人はすっかりいつも通りだ。敵わないなと、圭介はこっそり溜息を吐いた。

「じゃあさ、ほっしーは誰が好きなんだよ?」
 黙り込んだ圭介に対する助け舟なのだろうか。太一が星田に向かって尋ねた。
「いやあ、最近ハナが俺に惚れてるんじゃないかと思う時があるんだよね」
「それは無い!!」
 そう口にした瞬間、太一と照井が速攻で否定した。ハナと呼ばれる子を圭介は知らないが、きっと思い込みの強い星田の勘違いなのだろう。
「おい、まずは理由聞けよ」
「聞く必要は無い。それは100パーセントほっしーの妄想だ」
 尚も言いつのる星田に、太一がきっぱりと言い切った。
「あとさ、志穂ちゃんも俺に気があるとみた」
 太一と照井の否定にめげる様子も見せず、次に星田が出した名前に圭介は思わず固まった。
「それも無い。てゆか、ほっしーのその自信は一体何処から出てくるんだよ?」
「あるって。だって志穂ちゃん、一学期と全然俺に対する態度が違うもん」
「そう言えば出席番号同じで隣の席なのに、藤原さんに全然相手にされてなくてほっしー泣いてたもんな」
 泣くかよと反論している星田を見ながら、圭介は以前太一が志穂子を気にかけている男子がいると言っていたことを思い出していた。
「藤原さんの態度が変わったのは妄想じゃなく事実だけど、残念ながらほっしーに対してだけじゃないぞ」
「そうそう。前も今も大人しいのは変わらないけど、でも今の志穂ちゃんは断然話しやすいんだよね」
 本気で自分に気があると信じていたのか、太一と照井の言葉に星田はがっくりと落ち込んでいた。憐れみと可笑しみを感じながら星田を眺めていると、圭介は隣から視線を感じて顔を向ける。すると太一が真面目な顔で圭介を見ていた。
「藤原さんは変わったよ。だからあの日の言葉は取り消す」
 悪かったと言うと、太一は頭を下げた。志穂子が変わったというのは、圭介も気づいていた。 移動教室などでE組の教室の前を通る時はいつも、太一たちの姿を探すと同時に志穂子の姿も無意識のうちに目で追っていた。けれどもあの梅雨の朝のように、夏休み明けの昼休みのように、彼女がひとりぼんやりと空を眺めていることはもはや無かった。志乃やクラスメイトたちの隣で笑っていたから、何となくそれが嬉しくていつしか志穂子が微笑んでいるを確認するのが圭介の習慣になっていたのだ。

「志乃ちゃんと志穂ちゃんって、タイプは全然違うんだけど仲良いよな」
「ああ、良いコンビだな」
 照井がそう言うと、太一も相槌を打つ。文化祭でE組のお好み焼き屋はかなり評判が良かったらしいが、その準備を通して委員のふたりが仲良くなっていたのは隣のクラスの圭介も知っていた。
「ズバリ、圭介の本命は志乃ちゃんと志穂ちゃんどっち?」
「はあ?」
 圭介の不意を突いて、いきなり照井が直球を投げ込んできた。油断していた圭介は動揺して、思わず手元のグラスを倒しそうになる。
「テルさすが! なあ圭介、どっちなんだよ?」
「ちょっと圭介、動揺しすぎだって」
 星田はわくわくと目を輝かせ、太一は面白そうに圭介を観察している。
「何だよそれ。どっちでもないって」
 完全に三人のおもちゃにされているのが悔しくて、圭介は平静を装って否定する。
「誰にも言わないって。なあ、俺たち親友だろ?」 
「しつこい。違うものは違うんだよ」
「だって、どっちとも付き合ってるって噂あったじゃん」

「太一もそうだけど、志乃はガキの頃から知ってるから兄妹みたいなもんだよ。付き合いが長い分他の友達より情があるのは確かだけど、そこに恋愛感情は無い。志乃の方も、俺たちに一切そんなものは持ち合わせていない」
「うん、そうだな」
 圭介がきっぱりと否定すると、太一もそれに同意した。志乃がずっと圭介の兄に対して想いを抱いていたことを、ふたりは痛い程に知っているのだ。
「ふーん。じゃあ志穂ちゃんは?」
「逆に彼女のことは何も知らない。春からいとこになったけど、殆ど話をしたことは無いから」
 本当は、夏の終わりに志穂子が抱えきれなくなった葛藤を打ち明けられたことがある。けれどもそれは、家族にも友達にも心配をかけたくない志穂子が、事情を知っている圭介になら言えると判断しただけのことだ。聞くだけならできるからと志穂子には伝えたし実際に相談されたら受け止めるつもりではいるけれど、志乃という親友ができた今、彼女が圭介を頼ることはもはや無いだろう。
「うーん。聞きたいのはそういう状況じゃなくて、圭介の気持ちなんだけどな」
 じれったそうに照井が呟く。けれども、圭介が誰に対しても特別な気持ちを抱いていないのは事実なのだから仕方がない。
「圭介は秘密主義だな。まあいっか、じっくり聞き出せば」
「だからいないって言ってるのに」
 不敵に笑う照井に、圭介は呆れたように溜息をついた。
「俺も協力するぞ、テル。圭介の表情が女子のことで崩れるのを見てみたいからな」

 異様に楽しそうな太一をじろりと睨むと、圭介は席を立った。使い終わった小皿やコテを集め、厨房へと運ぶ。そろそろ話題を変えたいという無言のメッセージだ。
「そう言えばさ、圭介が志乃ちゃんと喋ってるところは見たことあるけど、志穂ちゃんと喋ってるところは見たことないな。なあ、志穂ちゃんのこと何て呼んでるの?」
「はあ?」
 けれども残念ながら、空気が読めない星田には圭介の意図は伝わらなかったらしい。しかも、何故そんなことを知りたいのかというどうでもよい質問だ。思わず脱力してカウンター越しに星田を見ると、太一と照井がにやにやと笑いながらこちらを見ていた。
「あと、志穂ちゃんは圭介のこと何て呼んでるの?」

 水道の蛇口をひねり皿を洗い始めていた圭介は、星田の最後の質問に手を止めた。
 その瞬間、ガラガラと引き戸が開く音がした。準備中の看板を出してのれんも店の中に入れているのに、一体誰だろうと厨房から顔を覗かせる。するとそこには、少し驚いた表情の和彦が立っていた。
「よう圭介。悪いな、友達が来てるのに」
 和彦がそう言いながら太一たちに笑顔を向けると、三人はよそ行きの顔で軽く会釈した。そのまま厨房に入って来たので、圭介は濡れた手を拭きながら挨拶を交わす。
「ひとりで来るの久しぶりだね。叔母さんと喧嘩でもしたの?」
 独身の頃はよく休日の午後にふらりとやって来ていたが、結婚してからは無い。たまに来る時はいつも叔母とふたりだから、圭介はからかうようにそう尋ねた。

「今日は親子三人で過ごしてるからね」
 そう答えると、和彦は微笑した。
「え?」
「今日は、亡くなった志穂ちゃんのお父さんの命日なんだよ」
 予想外の台詞に、圭介は思わず言葉を失う。
「ひとりだと、昼飯作るのも面倒でさ。義兄さんと姉さんは上?」
「う、うん。何か焼こうか?」
「いいよ、友達遊びに来てるのに」
「別に大丈夫だよ。どうせどうでも良いこと喋ってるだけだから、焼きながらでも問題無いし」
 じゃあ頼むと言い残し、和彦は奥の扉を開けて家の方に入って行った。ちらりと客席の方を見やると、来客に気を使っているのか三人とも大人しく話している。圭介は業務用の大きな冷蔵庫を開けると具材を取り出し、父が作ったお好み焼きの生地と混ぜ合わせた。



2012/06/23

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