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イトコ



無神経の代償 1


 二学期の始業式の朝、志穂子は今までよりも少し遅めに家を出た。これまでは和彦との距離が分からずになるべく接触する時間を減らそうとしていたのだけれど、これからは自然体でゆこうと決めた。やはりラッシュは避けたいので少し早めには家を出るが、一緒に朝食をとり、譲り合いながら洗面所を使う。
 まだまだ気を使うことは多いけれど、夏前のような打ち解けなければという義務感や、そうできないことへの焦りは、まるで嘘のように消えていた。



 久しぶりの学校は、活気に溢れていた。教室には夏休みが終わったことへの落胆と、久々にクラスメイトと再会したことへの喜びとがないまぜになっている。
 志穂子は恵と美奈が登校して来るのを待っていた。そっと鞄の内ポケットに触れてみる。そこには誕生日プレゼントにもらった携帯電話があった。ふたりとは夏休み前半に何度か会ったが、後半は予定が合わなかったので二週間ぶりの再会になる。これまでずっと携帯を持っていない志穂子に対し、ふたりは早く買ってもらえと言っていたので、真新しい携帯を見せたらきっと喜んでくれるだろう。
 そわそわと教室の扉を見ていると、ようやく恵と美奈が登校して来た。

「おはよう」
 志穂子は席を立ち、ふたりの元に寄って声をかけた。
「……おはよ」
「……」
 不自然な間を置いて、恵が挨拶に応える。けれども美奈は無言のままだった。
「久しぶりだね。元気だった?」
「うん。志穂は?」
「元気だよ。あのね、実はつい最近携帯を買ってもらったの」
 短く答える恵の横で黙り込む美奈の様子に、体調が悪いのかと訝しく思いながらも、とりあえず志穂子は携帯電話を持ったことを報告した。
「ふうん」
 けれども返ってきた反応は、戸惑うくらいに素気ないものだった。
「あの……」
「トイレ行って来る」
 ようやく声を発した美奈が、自分の席に鞄を置くと教室を出る。一緒に行くと恵が声をかけ、美奈を追いかけて行った。ぽつんとひとり教室に残された志穂子は、ひんやりとした気持ちになる。
 賑やかな教室の中で、志穂子はただ呆然とふたりの姿を見送った。

 全校生徒が集まって始業式が行われたあと、教室で通知表や各教科の宿題が回収される。いつまでもざわざわと落ち着きが無い生徒たちの様子に、夏休みはもう終わったのだから気持ちを切り替えろよと担任が苦言を呈し、ようやく解散となった。
「恵、美奈」
 鞄を手にして席を立つと、志穂子はふたりの元に寄った。背後から声をかけると、振り返ったふたりに双方からじっと見つめられる。
「どうしたの? どこか具合でも悪いの?」
 明らかにいつもと違う友人たちの様子に、志穂子はおずおずと尋ねた。

「ねえ志穂。一昨日、あんた何処に行ってた?」
 志穂子の目から視線をそらすこと無く、ようやく美奈が口を開いた。
「え? 一昨日は前に住んでいた町に行って、向こうの友達に会ってたけど……」
 美奈の質問の意図が分からず、戸惑いながら志穂子は答える。まさか、自分たちは友達なんだから昔の友達とは仲良くしたら駄目だとか、そんな子供じみたことは言うつもりなのだろうか。
「嘘言わないで!」
 志穂子の答に、苛立ったように美奈は声を荒げた。
「そんな嘘、つく必要無いじゃない」
 理由も分からず否定をされて志穂子の方も苛々が伝染し、口調が棘々しくなってしまう。
「じゃあ何で、志穂と圭介が一緒にいたっていう噂が流れてるのよ!」

 美奈の叫びに、志穂子は心臓がぎゅっと掴まれた気がした。言葉を発することもできず固まったまま、美奈の目をじっと見つめ返す。彼女は真っ直ぐに志穂子を睨んでいた。
「よそのクラスの子が、一昨日の夜にあんたたちが自転車ふたり乗りするのを見たんだって。ふたり密着して仲良さそうで、絶対にあれは付き合ってるって断言してた」
 目の前から向けられる美奈と恵の強い視線と、背後から感じるクラスメイトたちの好奇に満ちた視線に、志穂子は言葉を発することができない。
 あの日は感情が昂ぶっていて、正直、志穂子に周りは何も見えていなかった。気持ちが落ち着いてからもそのことには全く考えが至らなくて、今日も周囲からそういう目で見られていたことにすら、今の今まで気づいていなかったのだ。

「付き合ってるの?」
「違う!」
 美奈の問いかけに、志穂子は力を込めて否定する。
「でも、一緒にいたんでしょ?」
「……」
 あれだけ激しく動揺して、今更違うとは言えない。きちんと最初から正直にいとこだと打ち明けていれば良かったと後悔しながら、志穂子は俯き気味に小さく頷いた。
「馬鹿にしないでよ。何なのよ、それ!?」
 美奈が圭介を好きだと言った時にいとこであることを告げなかったのは、面倒だったからだ。 圭介とは殆ど話したことも無いのに、協力してくれとか言われたら嫌だなあという気持ちが真っ先に浮かんでしまった。クラスも違うし話す機会など無いので、敢えて言う必要も無いだろうと黙っていたのだが、そのツケが最悪な形で回ってきてしまった。
 こうなってしまえば、本当のことを隠さずに伝えるしかない。けれどもクラス中が耳を傾けているのが伝わってくるので、この場で告げることは躊躇われた。
「ねえ、何とか言いなさいよ!」
 場所を変えて話したいと考えていた志穂子に対し、美奈はこの期に及んでしらばっくれていると思ったのだろうか。苛立ちも隠さずに、鋭い声を上げた。

「いとこだけど」
 不意に、教室の後ろから声がした。恐る恐る志穂子が振り返ると、そこには圭介が立っていた。その表情はいつもと同じポーカーフェイスで、怒っているのかどうかも読み取れない。
「……いとこ?」
 しんと静まり返った教室に、美奈の呟きが響く。
「前住んでた町に遊びに行ったまま帰らないって、叔母さんが心配してた。だから俺がチャリで駅まで迎えに行った。ただそれだけの話なんだけど、何か問題でもある?」
 面倒臭そうに圭介が説明する。あまりにも素気ない言い方に、何だそんなことかと教室の空気が納得しかける。けれどもそこで、美奈が再び声を上げた。
「待って、いとこって何よ? わたし今まで、圭介に同い年の女の子のいとこがいるなんて聞いたこと無い」
「いちいちそんなこと言う必要無いだろ。俺だって、誰に何人いとこがいるか知らないし、興味も無い」

「……分かった、もういい」
 小さく顔を歪ませながら、美奈が諦めたように小さく呟く。やがて乱暴に鞄を取ると、クラスメイトの視線を振り切るように教室を出て行った。そのあとを恵が慌てて追いかけて行く。
「美奈!」
 後悔の念に襲われながら、志穂子は廊下に飛び出し美奈の名前を呼んだ。けれども彼女が振り返ることは無く、志穂子は圭介の存在もクラスメイトの存在も忘れ、ただ夢中で美奈と恵を追いかけた。



2011/12/16

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