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イトコ



熱い背中 2


 久しぶりに歩く町並みは、とても静かだった。雨が降っていたせいか煩いくらいに鳴き続けていた蝉の声はせず、夏休みの宿題を必死で仕上げているのか子供たちの声もしない。
 志穂子は先を歩く幼馴染たちの背中を眺めながら、生まれ育った町を黙って歩いた。子供の頃に通った駄菓子屋も、いつも遊んでいた公園も、何も変わりはなかった。たった数ヶ月では変わらないかと、安堵にも似た思いでほっと小さく息を吐く。けれども次の瞬間、志穂子は思わず息をのんだ。

「何これ……?」
 見慣れた十字路を右に折れた瞬間、目に飛び込んできたのは見慣れない建物だった。
「新しくできたケーキ屋さん。お洒落でしょ?」
 呆ける志穂子の隣で、香織がにこにこと嬉しそうに笑う。
「ここ、前は何があったっけ?」
 確かに見知った景色は、けれども、たったひとつ知らないピースがはまっているだけで全然違うものに見える。何度も通った道の筈なのに、以前そこに何があったのか志穂子はまったく思い出せなかった。

「ちょっと志穂、本当に忘れたの?」
「あんなにインパクトあったのに」
 千明と宏美が悪戯っぽく笑う。そこで志穂子は、思わずあっと大きな声をあげた。
「お化け屋敷!?」
「ピンポーン!!」
 志穂子の解答に三人が声を揃えた。以前そこにあったのは、荒れ果てた廃屋だった。いつ頃から人が住んでいないのか定かではないが、荒れ具合からかなり長い間放置されていると想像できた。明かりのない夜の廃屋は不気味で、近所の子供たちは皆お化け屋敷と呼んでいたのだ。小学校の頃には嘘か本当か、白い着物の女の人を見たと言うクラスメイトもいた。

「嘘、信じられない……」
 志穂子はそう呟きながら、瞬きを繰り返す。目の前のレトロな洋館が、子供の頃に恐れていた廃屋にはとても見えなかった。
「春休みに工事が始まって、夏前にお店がオープンしたの」
「最初はこんな住宅街の真ん中で商売になるのかと思ったけど、雑誌に載ったりして結構遠くからもお客さんが来てるらしいよ」
 言われてみれば建物の脇に三台分の駐車スペースがあり、それらのすべてが埋まっている。それでも信じられない思いでぼんやりと立ちつくしていると、香織が志穂子の腕を取って強く引いた。戸惑いながらも、香織に導かれるままに店内に入って行く。
「予約していた山田です」
 ショーケース越しにいらっしゃいませと迎えてくれた店員に、香織がそう告げる。
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
 どうやら一階がショップで、二階がティールームになっているらしい。

「すごいね」
 案内された席につくと、志穂子は小さく囁いた。クラシカルな雰囲気の店内は落ち着いた色調で抑えられ、静かにピアノの曲が流れている。志穂子たちは大人びた雰囲気に緊張し、自然と声をひそめてしまう。やがて席へと案内してくれた店員が、水の入ったグラスとメニューを運んで来た。上等な革のメニューブックを開くと、そこには色とりどりのケーキの写真があった。
「注文は飲み物だけだからね」
 目移りしそうだと思いながら眺めていた志穂子に、千明がそっと告げる。
「え、何で?」
 確かにランチもお腹いっぱい食べたけれど時間は経っているし、そもそもこんな素敵なお店に来てお茶するだけなんてありえない。けれども三人はさっさと飲み物だけをオーダーしてしまったので、志穂子も渋々アールグレーティーを頼んだ。

「何でケーキ頼まないの?」
 皆甘いものが大好きで、中学時代は新作チョコが出るたびに品評会をしたものだ。それなのに誰もケーキを頼まないなんておかしすぎると、訝しげな表情で志穂子は三人の顔を見渡した。
「まあまあ」
 宏美がにやにやと笑いながら、不満そうな志穂子を宥める。すると紺のワンピースに白いエプロンをつけた店員が、奥から四人が座るテーブルへと近づいて来た。

「何、これ……?」
 目の前に差し出されたものに戸惑いながら、志穂子が小さく尋ねる。
「誕生日おめでとう!」
 そう声を揃えた三人は、まるで悪戯が成功した子供のように満足げな笑みを浮かべた。テーブルの上にそっと置かれたのは、小さめのホールケーキだった。誰も足を踏み入れていない新雪のような生クリームの上には、真っ赤な苺がのせられている。そして中央には“HAPPY BIRTHDAY”と書かれたチョコレートのプレートがあった。
「やっぱり、ろうそく立てた方が良かった?」
「ハッピーバースデー歌おうか?」
 驚きのあまり声が出ない志穂子を、千明と宏美が口ぐちにからかってくる。それはやめてと志穂子が言うと、千明が笑いながら脇に立っているスタッフを見やった。
「では、切り分けいたしますね」
 そう言ってにこりと笑うと、彼女はまずチョコレートを取って脇によけた。それからゆっくりと、柔らかなスポンジにナイフを入れる。現れた断面にも予想通りたっぷりと苺が挟まれていて、四人は思わず感嘆の溜息を漏らした。丁寧な動作で四等分したケーキを小花柄の皿にのせると、店員は最後によけていたチョコプレートをのせて志穂子の目の前にそっと置いた。

「さあ、食べよう!」
 待ち切れないかのように、香織が弾んだ声を出す。それに促されるかのように、全員が揃って手を合わせた。そっとフォークを差し入れると、予想以上にスポンジが柔らかい。生クリームがたっぷりのった部分を口へ運ぶと、滑らかで甘さは控えめだった。
「美味しい」
 四人はうわ言みたいに呟きながら、ただ黙々と味わった。そして最後のひと口を名残惜しそうに口へ運ぶと、顔を見合わせて微笑んだ。
「ありがとう」
 志穂子はそう感謝の言葉を口にした。ケーキを食べるかもしれないと母にも話していたが、まさかこんなサプライズが用意されているとは思ってもみなかった。
「わたしたちも、ここのケーキがずっと気になっていたのよ」
「そうそう。だから志穂の誕生日にちょうど良いねって」
「また誰かの誕生日に来ようね」
 満足げに笑う三人に向かって、志穂子はもう一度ありがとうと呟いた。

 ここは奢りだからと言われ、結局志穂子の分も三人に支払ってもらって店を出た。朝は鉛色の雲が空を覆っていたのに、いつの間にかその雲に隙間ができて微かに日が差している。
「そろそろ、時間だね」
 名残惜しそうに、千明が呟く。時計は五時前をさしており、二時間の道程を考えればそろそろ帰らなければいけない時間だ。
「駅まで送るよ」
 宏美が言った。
「いいよ、ひとりで」
 宏美の申し出を、咄嗟に志穂子は断る。三人の家は、駅とは逆方向だ。
「何を遠慮してるのよ」
「そうだよ。大した距離じゃないし、まだ五時だしね」
 千明と香織が口ぐちに言う。けれども志穂子は、頑なにそれを拒んだ。
「ひとりで大丈夫。ぶらぶら町を見ながら帰るから」

 志穂子は楽しかった時間を反芻しながら、懐かしいこの町をゆっくりと歩きたかった。そうして今日は、最後にあの場所を訪れてみたいのだ。
「分かった」
 何かを悟ったのか、千明が頷く。そして、ごそごそと鞄の中から何かを取り出した。
「はい、これ。わたしたちからの誕生日プレゼント」
「え? でも、さっきケーキもらったよ」
 戸惑いがちに、差し出された包みに視線を落とす。
「あれはあれ。別に大したものじゃないし、受け取ってよ」
 躊躇いながらピンクのリボンが巻かれた包みを受け取ると、開けてみてと香織に促された。テープをそっと剥がしながら包みをめくる。中から出てきたのは、小さな薄紫色の石がついた携帯ストラップだった。
「皆でお揃いなんだよ」
 そう言って香織が自分の携帯を差し出す。真似るように、千明と宏美もそれぞれ鞄の中から携帯を取り出した。確かにそこには、色違いのストラップがゆらゆらと揺れていた。
「でも、わたし……」
「いつか携帯買ってもらったらつけてね。でもって、すぐにわたしたちに番号とアドレスを知らせること」
 千明に言われ、小さく志穂子は頷いた。
「うん、ありがとう」

 やがて手を振った三人が十字路の先に消えて行くのを見届けると、志穂子はストラップを大切そうに鞄にしまう。そしてまだ夕暮れには少し早い町を、ゆっくりと歩き出した。
 道の先には市民病院の白い建物と、その隣には緑の木々が生い茂った公園があった。



2011/11/11

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