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09. あたたかな粉雪


 今年最後の授業を終えて外へ出ると、鉛色の空からは粉雪が降っていた。
「サクはこれから図書館?」
「うん。バイトまで中途半端に時間があるから、適当に時間つぶす」
 マフラーをしっかりと巻きつけながら、わたしは亜矢の問いかけに答えた。
「そっか。一緒にお茶したかったけど、今日はちょっと無理だわ」
「いいよ、今日は大事な日なんだから。また忘年会でね」
「六時に駅前だよね」
 そう言うと時間があまりないのか後ろ向きに手を振りながら、亜矢は小走りに校門へと向かって行った。
 わたしと同様に就職活動を続けていた亜矢が、先日ついに内定を勝ち取った。今日は内定者の顔合わせがあるらしい。親友が内定を取れたのは心底嬉しいし、励みにもなる。けれど焦燥感もますますつのってきて、わたしは亜矢の後ろ姿を見送りながら小さく白い息を吐いた。

「よう」
 図書館に行こうか就職課に行こうか迷いながら歩いていると、前方から見知った顔が近づいて来た。目の前までやって来たその人物が、片手を上げて気まずそうに笑う。
「久しぶり」
 わたしもぎこちなく答えた。昭雄と顔を合わせるのは、別れ話をした夏のはじめ以来だった。同じ学科ではあるが、ゼミは別々なので顔を合わせる機会がずっとなかったのだ。
「元気か?」
「うん、元気だよ。そっちは?」
「元気だよ。それだけが取り柄だからな」
 そう答えると、昭雄が軽く笑う。すると少しだけ、緊張してた空気が緩んだ。

「あのさ」
 何か言いかけた昭雄の言葉に、わたしは顔を上げた。
「あの……」
 けれども彼は言い淀むばかりで、なかなか言葉を口にしない。そんなに言いづらいことなのだろうか。相変わらず空からは粉雪が舞い降り、コートに落ちてじわりと溶ける。寒いから校舎の中へ入ろうと言いかけた瞬間、昭雄が勢いよく体をふたつに折った。
「ごめん!」
「な、何!?」
 予想もしなかった昭雄の行動に、わたしは思い切りたじろぐ。けれども彼は頭を下げたままの状態で、再び謝罪の言葉を口にした。
「ごめん」
「ちょっと、頭上げてよ。どうしたの一体?」
 困惑し切ったわたしの声に、ようやく昭雄が顔を上げた。

「あの頃、俺はひどく子供だった。余裕がなくて、本当にごめん」
 後悔の表情を浮かべる昭雄に対しわたしは何も言えず、ただ黙ってかつての恋人を見つめ返した。
「ずっと、ちゃんと謝りたかったんだ。別れ話をした時は、謝りながらも正直俺だけが悪いんじゃないと思ってた。サクが頑ななんだから気持ちが離れるのは当然だと、自分を正当化しようとしてた。でも、違うんだ。いっぱいいっぱいのサクを追いつめてたのは俺で、あの時の俺はどうしようもなく子供だったんだ」
 突然の昭雄の発言にわたしは呆気にとられていたのだけれど、驚きが消えると、心の中にじんわり残るのは嬉しさだけだった。
「わたしの方こそ、意地張っててごめん。もっと昭雄に甘えて頼ったら良かったのに、反発ばかりして、いつも可愛くなくてごめん」
 わたしもずっと心にわだかまっていた反省を口にする。すると、頭の上でぷっと吹き出す気配がした。ちらりと見上げると、昭雄が必死に笑いを堪えている。
「ちょっと、何よその笑いは。自分のことちゃんとわかってるじゃん、という笑い?」
 本当に謝りに来たのかと言ってじろりと睨むと、やがてふたりとも我慢できずに吹き出した。

「昭雄が変わったのは、あの子のおかげ?」
 からかい気味にそう尋ねると、昭雄は少し照れくさそうに頷いた。
「サクも変わったな。あの彼氏のおかげだろう?」
 そう昭雄が返す。わたしは何のことかさっぱりわからなくて、不思議そうに目を瞬いた。
「図書館で一緒に勉強してたじゃん。その時のサクは、楽しそうによく笑ってた」
 昭雄はそう言いながら、俺は怒らせてばかりだったと自嘲気味に呟いた。
「え、見てたの?」
「卒論の資料集めに図書館に行った時に、何度か見かけたぞ。サクのああいう顔を見たくて付き合い始めたのに、最後の方はあんな顔をさせてやれなかった。きちんと謝りたいなと思いながら、なかなか声をかける勇気がなくて。でも、卒業前にこうしてサクと話せて良かった」
 そう言った昭雄の顔はとても優しくて、わたしはこの人のこの表情を好きになったのだと思い出した。

「彼氏とうまくやれよ」
「あの人は、別にそんなんじゃ……」
 昭雄はからかうように言うと、にやりと笑う。わたしが慌てて否定すると、少し意外そうな顔をした。
「じゃあ、今のところは片想いか。まあ頑張れ」
 そう言うと、雪を払うようにわたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。そしてそのあと、ぽんぽんと優しく二度撫でる。付き合っていた頃によくされていたそれに懐かしさを感じていたら、ふと思い出したように昭雄が言った。
「そう言えばサク、内定とれたのか?」
 わたしが苦虫を噛みつぶしたような表情でじとりと見上げながら苦戦中だと告げると、じゃあと昭雄が言った。
「就職課に行ってみろよ。ついさっき、うちの大学職員の募集が出ていたぞ。急に欠員が出たんだとさ」
 頑張れよと言いながら、片手を上げる。背中に向かってありがとうと声をかけると、ひらひらと手を振って、学食の方へ歩いて行った。

 空を見上げ、ほうっと息を吐く。はらはらと粉雪が舞い落ちる。
 指先の感覚はないくらいに体は冷え切っているのに、心は何とも温かな気持ちに満たされている。
 わたしはもう一度小さく白い息を吐くと、足早に就職課へと向かった。



2011/03/28

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