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ぎ出すカエル



 03. カエル、帰る


 電車を降りると、潮の匂いがした。
 半年ぶりに帰って来た町は、昼過ぎという中途半端な時間のせいか静かだ。吹きつける風が強く、ほどけかかったマフラーをしっかりと巻き直す。改札を抜けると、果恵は見慣れた道を歩き出した。

 果恵が生まれ育った町は海に近い。もっとも海水浴を楽しめるような砂浜は殆ど無く、大半が堤防で囲まれている。その為に観光客が訪れることもなく、のんびりとした住宅街が広がっていた。
 果恵は社会人一年目までこの町で暮らし、二年目からは職場から三駅の所でひとり暮らしを始めた。 今住んでいる街からは電車を乗り継いで一時間程で帰れるが、特に用事が無ければ帰るのも億劫で、半年に一度くらいしか戻って来ない。
 人生の三分の一近くはこの町から離れて過ごしているんだなと、駅前の少し寂れた商店街を歩きながら果恵はふと思った。やがて、此処で過ごした時間の方が短くなってゆくのだ。
 半年の間に何か変化は無いかと注意深く眺めながら歩いたが、半年どころか、果恵が子供の頃から殆どその景色は変わっていない。 目まぐるしくテナントが入れ替わる都会に比べ、この辺りは時間の流れが緩やかだった。

 商店街を抜けて右へ折れると、すぐに古めかしい建物が見えてくる。かつて果恵が通った中学校だ。
 既に午後の授業が始まっているようで、鉄製の門の向こう側はしんと静まりかえっている。 自分の教室があった辺りを見上げていた果恵は、ひとつ白い息を吐くと、再び冷たい風が吹く中を歩き出した。




「おかえり。寒かったでしょ?」
 家に帰ると、母がすぐに温かいお茶を淹れてくれた。今も週に三回パートに出ているが、水曜日の今日は休みだ。だから今日帰ることにしたのだ。 果恵の休みが不規則なので、両親と休みがなかなか合わないというのも実家にあまり帰らない理由のひとつだったりする。
「今日は風がきついね。飛ばされるかと思った」
「何言ってるの。そんな立派な体格で、飛ばされるもんですか」
「失敬な。ずっと仕事だったから、お正月太りもしてないのに」
 そう言いながらこたつに足を入れると、お茶と一緒に出された羊羹に手を伸ばした。
「はあー、やっぱこたつって良いよね」
 羊羹を口に運びながら、しみじみと零す。ひとり暮らしの部屋はスペースが限られていて、こたつなんて到底置くことができない。
「あんたの部屋にこたつなんて置いたら、一日中出なくなるからダメよ」
 お茶をすすりながら、きっぱりと母が言い放った。
「分かってるよ。だから置いてないじゃない」
 どの道、寒い日はベッドから出ないのだけどと心の中で思いながら、果恵は母に反論した。

「そう言えば、お母さんのメールに起こされたせいで、正月早々寝不足だったんですけど」
 みかんの皮をむいている母をちろりと見やりながら、果恵は思い出したように抗議した。
「ありゃりゃ、寝てたの? 大晦日だから起きてると思ってたのよ」
「寝てたよ。だって元旦は早番で五時半起きだったもん」
「それはそれは、失礼しました」
 全然悪びれていない様子で母が謝罪の言葉を口にする。冷めかけたお茶を口にしながら、果恵は不満そうに口を尖らせた。
「全然悪いと思ってないでしょ?」
「そもそも、あんたが顔を見せないから悪いんでしょ。何も言わないけど、お父さんも寂しがってるわよ」
 父のことを話題にした母を、果恵はちらりと盗み見る。けれどもそんな果恵の様子に気づいていない母は、娘への日頃の不満をぶちぶちと口にした。
「仕事が忙しいのは分かるけど、遠くないんだから月に一回くらいは顔を見せなさいよ。まだ彼氏できないのかなんて、今更急かすつもりはないんだから」
「ちょっと、最後のひと言は余計じゃないの」
「どうしてよ? 彼氏いない歴絶賛更新中の娘を、温かく見守る優しいお母さんなのに」
「むかつく……」
 男の気配が全くない娘を、母親が楽しそうにからかう。反論できない果恵は、腹いせに母がむいたばかりのみかんを奪い取った。

「まあ、でも、絶対に結婚しなさいとは言えないからねえ」
 新しいみかんを手に取り再び皮をむき始めた母が、ひとりごとのように呟く。
「年末に会ったけど、お姉ちゃんだいぶ仕事に慣れたって言ってたよ」
 果恵は、母から奪ったみかんを口に入れながらそう報告した。
 果恵の五歳年上の姉は、去年の夏に突然離婚した。二十八歳で職場結婚し、子供はいないがいつも夫婦仲が良さそうに見えていたので、報告された時には本当に驚いた。 当然両親からは考え直すように説得されたが、姉の意思は固く、そのまま離婚届を出して呆気なく結婚生活に終止符を打ったのだ。
「正月に帰って来た時にも、職場の人がみんな親切だから良かったって言ってたわ」
 溜息まじりに母が言った。離婚後しばらくは実家に戻っていたのだが、秋に就職先が決まると、出戻り娘がいい年していつまでも親の世話になれないと言って、さっさとひとり暮らしを始めたのだった。

 つけっ放しになっているテレビでは、情報番組が流れているようだ。正月太りの解消法と称し、最新のダイエット法を紹介している。 異様にテンションの高い女子アナのリポートを聞き流しながら、果恵は黙々とみかんを食べた。
「絶対に結婚しなさいとは言えないけど、果恵には結婚したいと思えるような素敵な人に出会って欲しいと思ってるのよ」
 予想していなかった言葉に視線を上げると、穏やかな笑みを浮かべた母がこちらを見ていた。ああ、お母さんも年をとったなと、増えた皺を見ながら果恵は思った。 毎日会っていれば気づかないだろうが、たまにしか会わないと親の老化をふとした拍子に感じるのだ。

「お母さんは……」
「ん?」
 喉まで出かかった質問を飲み込む。代わりに、言いかけた言葉の続きを待っている母に対し、果恵はいつものように憎まれ口を叩いた。
「わたしが素敵だと思えるような人なんて、そうそういないのよ」
「うわあ、あんた恥ずかしげもなくそんな台詞がよく言えるわね。そんなこと言ってると、結婚どころか一生彼氏もできないわよ」
「それはそれで仕方ないわ。世の中の男の人の見る目がないということで」
 すました顔でそう答えると、果恵はよっこらしょと言いながら立ち上がった。最初は呆れ顔だった母が、果恵の開き直り発言に声をあげて笑いだす。
「あんた、長生きするわよ」



 母の笑い声を聞きながら、果恵は二階に上がった。
 二階には、かつて果恵と姉に与えられていた子供部屋がある。 幼い頃はひとつの部屋をふたりで使っていたが、姉の高校受験を前にリフォームし、引き戸で仕切って現在は二間に分かれていた。

 久しぶりに入った自分の部屋は、暖房がついていないので空気が冷え切っていた。果恵がひとり暮らしを始める際に不要な物は処分したので、当時は狭いと不満だった部屋ががらんと広く感じられる。
 すっかり雰囲気が変わってしまった室内をぐるりと見回すと、果恵は押入れを開けた。 そこには、校内コンクールで貰った表彰状や卒業文集など、スペースが限られているワンルームマンションへは持ち込めない思い出たちがひっそりと眠っていた。
 母が整理してくれたのだろう。幼稚園から順に並んだ卒業アルバムのうちの一冊に、そっと手を伸ばす。数年ぶりに開いたページには、あどけない中学生たちの姿があった。 懐かしい思いにかられながら、三年五組のページをめくる。出席番号順に並んだ顔ぶれを、指でなぞりながらゆっくりとたどる。やがて果恵の人さし指が、ひとりの男子生徒の写真で止まった。
(ああ、やっぱりそうだ)
 眼鏡をかけた真面目そうな少年の写真を眺めながら、果恵は小さく呟いた。

 


2013/02/20 


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