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イトコ



無神経の代償 7


「藤原さん、模造紙ってこれだけ?」
「ううん、まだあるよ。確かロッカーに入れてたと思うけど」
 文化祭まで二週間を切り、俄かに校内が活気づいてきた。先週までは中間テストで放課後に残ることが禁止されていたが、試験が終わりこれから文化祭まではノンストップで駆け抜けることになる。生徒たちはどこか浮足立っており、そんな様子に教師たちも苦笑気味だ。

「本番まであと少しだねー。お客さんいっぱい来るかなあ」
「あんたがお好み焼くのに失敗しなかったら大丈夫じゃない?」
「うわ、ひどーい」
 放課後の教室は、楽しげな笑い声で満ちている。志穂子のクラスでも看板やポスター作りの為に、時間がある生徒たちが毎日交代で居残って作業を進めていた。
「でもさ、真面目な話うちのクラスの売上は結構良いとこ狙えると思うんだよね。志穂ちゃんのアイデアは、当日絶対に話題になるよ」
 ポスターカラーで色付けしていたひとりが、唐突にそう断言した。その言葉に、志穂子は驚いて作業の手を止める。
「確かに。吉本先輩のクラスとかぶったと聞いた時は、どうなることかと思ったけどね」
「うちの男子ではどう足掻いても対抗できないからなあ。でも、あれなら話題性はバッチリだし、あとはうちら女子のレベルで対抗しとく?」
 別の女子生徒の発言に、他の女子たちが笑い転げる。褒められてこそばゆさを感じながら、志穂子も一緒に笑い声をあげた。

「ねえねえ、あれって志穂ちゃんが考えたの?」
 別の場所で作業していた女子生徒が、わざわざ志穂子の隣にまでやって来て尋ねてきた。今日は男子生徒がいないので、話が弾みすぎて作業の手が止まりがちだ。
「え、うん」
「そうなんだ。金澤くんちのアドバイスかと思った」
 その発言に、志穂子は少し困ったような笑みを浮かべた。
「金澤くんってどんな感じなの? いつも男子とつるんでてあんまり女の子と喋ってるとこ見かけないけど、普段はどんなこと話してるの?」
「それ、わたしも気になるー。カッコ良いけどちょっと話しかけにくいよね。今度、紹介してよ」
 すっかり全員の手が止まってしまい、皆が興味津々の目で志穂子を見つめていた。志穂子と圭介がいとこだということが気になってはいたが、詳しく聞きたくても聞きづらかったようだ。文化祭の準備を通してクラスメイトたちの距離が一気に縮まり、それぞれが気になる話題を持ち出してきたらしい。

「うーん、ご期待に沿えず申し訳ないんだけど、殆ど金澤くんとは話したことが無いんだよね」
 本当は夏の終わりの夜に、志穂子が抱え切れなくなった思いを全て吐き出して聞いてもらったのだが、それは誰にも言えない。
「嘘だ。親戚なんだから、いくらなんでも喋るでしょ?」
「ズバリ、付き合ってるっていう噂が夏休み明けにあったけど、あれ本当?」
 あまりにも直球の質問に、全員が歓声を上げる。異様な盛り上がりに志穂子は頬が火照るのを感じながら、困ったことになったと戸惑っていた。
「金澤くんとはね、今年の春にいとこになったばかりなの」
 華やいだ放課後の空気が重くならないように、志穂子は言葉を選びながらぽつりぽつりと説明した。
「うちはお父さんが小学生の時に亡くなって、ずっとお母さんとふたり暮らしだったんだ。でも、この春に金澤くんの叔父さんにあたる人と再婚することになって、それではじめて金澤くんちと親戚になったの。 夏休みの終わりに前に住んでいた町に遊びに行って帰りが遅くなってしまって、心配したうちの母を見かねて彼が駅まで捜しに来てくれたことが一度だけあって。 その時に少し話したくらいで、本当に殆ど喋ったことは無いんだよ。ちなみにその時はすごく迷惑かけてしまったから、帰ってお母さんに叱られたんだけどね」
 少しだけ脚色を加え、志穂子は努めて明るく言った。はしゃいでいた女子たちは言葉を探しあぐね、気まずそうに黙りこんでいる。

「吉本先輩も田中先輩も知らなかったわたしなので、男の子と仲良くなるには全くの役立たずです。なので皆さま、気になる人がいたらどうぞ自力で頑張って下さいませ。その代わり、わたしは隣で一生懸命応援させて頂きます」
 おどけた調子でそう言ってぺこりと頭を下げると、ひとりがぷっと吹き出した。それにつられるように皆がくすくすと笑い声を洩らし、やがて教室中にほっとしたような空気が漂う。
「ちぇっ、戦力外かあ」
「藤原さん、同学年のことも知らないでしょ? B組の大村とかC組の山川は知ってる?」
「あー、その顔は絶対に知らない顔だ」
 美奈や恵から聞いたことがある名前の気もするが、顔はもちろん浮かんでこない。そんな表情を見て志穂子が答えるよりも早く誰かが指摘したので、また他の女子たちが笑った。

 ああ、久しぶりの感覚だ。志穂子はそう思った。
 女の子たちでとりとめの無いことを話し、些細なことでも可笑しくて笑い転げる。そんなことは中学時代には当たり前だった。千明や宏美や香織や仲の良いクラスメイトたちと、いつもはしゃぎ合っていた。
 たくさんの人と関わることはもちろん煩わしいこともあるけれど、それでもやはりこんなにも楽しいのだということを今更ながら志穂子は思い出していた。高校に入ってからは何故か新しい人間関係を構築することに消極的で、他人との関わりのネガティブな面にしか目がいっていなかったのだ。
 今にして思えば、同情的な目で見られることが嫌だったのだと志穂子は思う。自分を不幸だと思ったことはないけれど、不幸だと見なすような同情的な目を向けられると反発したい気持ちにかられた。 父が死んだ時に周囲から向けられた目も、母とふたりであることを告げる度に申し訳無さそうな表情をされることも嫌だった。敢えて志穂子の事情を伝える必要は無いけれど、たまたま圭介と同じ高校に進学した為に、場合によっては説明せざるを得ないこともある。それが億劫で、どこか腰が引けていたことは否めない。
 けれど、周りだけが同情的になっていたわけではないと志穂子は思い始めている。自分自身を可哀想だと思う気持ちが心の何処かにあったからこそ、他人の目に敏感になっていたのではないかと思い至ったのだ。 本当は、今みたいに明るくかわせば良かったのに。相手だって反応に困っていたんだと、志穂子は今更ながら理解した。
 自然に話して、自然に笑う。一番シンプルな方法を、志穂子はようやく見出していた。

「吉本先輩と言えばさ、志乃と付き合ってたって本当?」
 志穂子がひとり思いに耽っていると、ふと思い出したように誰かが問いかけた。
「あ、わたしもそれ聞いたことある。中学の時に光先輩は彼女いたけど大宮さんを選んだって」
「うっそー!?」
 その一言に、教室内のボルテージが一気に上がる。志穂子も驚いて色塗りの手を止めたが、そう言えば聞いたことがあるなと思い返した。確か以前、美奈と恵から聞いたような気がする。今日は美奈も恵も用事で既に下校しており、志乃は別の生徒たちと買い出しに行っている。
「ねえ、藤原さんは大宮さんから聞いたことある? 委員会で吉本先輩と一緒になるんだよね?」
 いきなり話題を振られて、志穂子は戸惑う。何度かふたりのやりとりを目の当たりにしたが、どう考えても昔付き合っていたようには見えない。 「それ、わたしに聞く? そっち方面、わたしが疎いことは既に証明済みだよね?」
 志穂子が自虐的な溜息を大袈裟につくと、皆が確かにねと大きく頷いた。そんな簡単に納得しないでよと反論すると、仕方が無いよとあっさり返されたので志穂子は不満そうに頬を膨らませて見せた。

「吉本先輩のことはよく知らないけど、特定の人を作るよりも皆でわいわい楽しみたい人に見えるかな。委員会で一緒になって、すごいリーダーシップだなって尊敬する。そう言えば、自分でイケメン御三家のひとりって言ってたなあ」
「ぶっ、何それ!?」
 光との初対面の会話を思い出しながら志穂子が言うと、思わず他の女子生徒たちが吹き出した。
「わたしが先輩のこと知らなかったから、御三家のひとりだから覚えておいって自己紹介された」
「御三家て……。やばい、光先輩アホすぎる」
「あー、やっぱりわたしは吉本先輩派だなあ。田中先輩なら絶対そんなことは言わないだろうし」
「てゆか、誰も言わないよ!」
 激しすぎる突っ込みに、その場にいた全員が盛大に頷いた。恋愛話は盛り上がる半面、加速するとやっかいだ。光のキャラクターのお陰で話が逸れたことに安堵しながら、志穂子はちらりと時計を見やった。

「そう言えば山ちゃん、五時から書道部行かなきゃなんだよね。そろそろ時間だけど大丈夫?」
 教室の正面に掛けられている時計は、もうすぐ五時を指そうとしていた。志穂子は奥でメニューを書いていた山崎に声をかける。部活や習いごとがある生徒は、空いている時間に手伝ってくれているのだ。
「おわっ、本当だ。やばい!」
「あ、片付けはいいよ。急いで急いで」
「ごめんねー、志穂ちゃんありがとう。みんな、あとよろしく」
 そう言ってバタバタと慌ただしく鞄を抱え教室を出る山崎を、残された生徒たちは手を振って見送った。
「あ、志乃ちゃんおかえり。ごめん、わたし部活行くねー」
「うん、頑張って」
 山崎が扉を開けると、ちょうどそこには買い出しから帰って来た志乃が立っていた。呆気にとられたように山崎の後ろ姿を見送ると、紙袋を抱えて教室に入って来る。

「志乃、おかえり」
「ただいま」
 志穂子が声をかけると、ほんの一瞬間をおいて、それからすぐに笑みを浮かべながら志乃はそう応えた。
「あれ、ほっしーとテルは?」  荷物持ちにと駆り出された男子ふたりの姿が見えず、ひとりの女子生徒が志乃に問いかける。
「ああ。下で岡田に捕まったから、置いて来た」
「またか。今日の数学でも豪快に居眠りしてたもんねー」
「そんなことより、Tシャツどうだった?」
 全員の興味は、買い出しに行ってくれた男子よりも紙袋の中のクラスTシャツにある。ひとりがじれったそうに尋ねると、志乃はにやりと笑った。
「もうね、予想以上だよ」
 志乃の言葉に、その場にいた全員がわあっと歓声を上げる。
「大宮、もったいぶらずに早く見せなよ」
「そうだそうだ、早く見せろー!」
 そう言うと皆が志乃を取り囲み、紙袋を覗いた。
「まあまあ皆の衆、落ち着いて。それじゃあ、よーく見たまえ」
 仰々しく言いながら、志乃はゆっくりと紙袋から一枚のTシャツを取り出して広げて見せた。

「おー、カッコ良いじゃん!」
「色もカタログより良いねー」
 志乃が広げたTシャツに、皆が弾んだ口調で口々に感想を述べる。オレンジ色のTシャツの胸元には、クラス名がロゴ風に印字されていた。 背面にもそれを拡大したものが大きくプリントされていて、なかなかお洒落に仕上がっている。
「ハナちゃん、すごいね!」
 デザインをしてくれた花井に、志穂子は興奮気味に声をかける。
「えへへ。ありがと、志穂ちゃん」
 はにかんだ笑みを浮かべる花井に、志穂子もすっかり嬉しくなってしまった。当日は担任も含めたクラス全員が、このTシャツと一緒に買って来た黄色のバンダナを身につける予定だ。
「あっー! 何だよ、もう披露してるのかよ!!」
 女子たちがTシャツやバンダナを広げながら楽しげに喋っていると、ガラリと扉が開く音がした。それと同時に、男子生徒の不満げな声がする。
「あんたたちがもたもたしてるから悪いんでしょ」
「そうだよ。てゆか、何度岡田に呼び出されたら気が済むのよ」
 不平を口にしたものの、所詮は多勢に無勢だ。たった二名の男子は十数名いる女子たちに返り討ちにあい、抱えていた残りの紙袋をそっと机の上に置いた。

「何だか、わくわくしてきたね」
 クラスメイトたちがさざめく中で、志穂子はひとりごとのようにぽつりと呟いた。教室の床に広げられている看板は順調に仕上がっているし、ポスターもあとは色付けだけだ。 当日配るチラシも原稿はできているし、買い出しの手配も済んでいる。 本番になると予測していないトラブルがあるかも知れないし、実際お客さんを前にすると練習通りにはいかないかも知れないけれど、そんなことを心配していたらキリがない。それ以上に、はじめての文化祭への高揚感は抑えられないものになっていた。
「うん」
 志穂子の隣で志乃が頷いた。ちらりと志乃を見やると目が合い、ふたり笑い合う。
 窓の外では、太陽が少しずつ傾いてきている。数か月前までは高い軌道を描いていた太陽も、季節が移ろうにつれ徐々にその軌道を低く変えている。西側の空が少しずつ茜色に染まってゆくのを眺めながら、志穂子は再び絵筆を手に取った。



2012/05/14

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