イトコノコ
無神経の代償 5
放課後に志穂子が視聴覚室を訪れると、そこには既に十数名の生徒がいた。どうして良いのか分からず戸惑いながら黒板を見やると、走り書きで座席が指定されていたのでとりあえず席に着く。ほっと小さく息を吐き、それからちらりと教室内を見渡した。
今日は第一回目の文化祭実行委員会だ。 それぞれのクラスの実行委員であろう生徒たちが顔見知り同士で談笑したり、席について静かに本を読んだり携帯電話をいじったり、それぞれが思い思いに開始までの時間を過ごしていた。顔ぶれを見たものの、志穂子の知っている人はいない。クラスメイトともまともに交流していないのに、他のクラスや、まして違う学年に知り合いなどいる筈もなかった。
「ねえ、君のクラスは何やるの?」
不意に、右隣から声をかけられた。まさか自分に話しかけているわけではないだろうと思いながらも、あまりに近くで声がするので右側に視線を送りそっと確認する。すると、髪を明るい茶色に染めた男子生徒が真っ直ぐにこちらを見ていた。
「え、と……」
不意打ちで話しかけられ、思わず志穂子は言葉に詰まる。シャツの胸元に付いている学年章が緑色なので、どうやら彼は二年生のようだ。
「君らははじめての文化祭だから知らないかもしれないけど、ウチの学校、同じ出し物ができるのは二クラスまでなんだよね。しかも同学年でかぶったらアウト。二年では互いに出し物かぶらないように裏交渉済みだから、一年と三年に確認中なんだよ」
「そうなんですか」
出し物を決定した時に第三希望まで決めたので、偏らないように何かルールがあるんだろうとは思っていたが、細かい内容についてははじめて知った。志穂子がひとり納得していると、目の前の男子生徒はずいと顔を寄せてきた。
「で、君のクラスは何やるの?」
明るい髪色が映える整った顔立ちが近づいてきて、思わず志穂子は体を引いた。
「ちょっと、わたしのクラスメイトに何ちょっかい出してるのよ」
そう声がして見上げると、男子生徒の背後に志乃が仁王立ちしていた。
「お、志乃じゃん。久しぶり」
「そこどいて。わたしの席」
嬉しそうに相好を崩す相手に対し、はらはらする程に志乃は素っ気ない。会話の内容からして知り合いのようだが、相手は先輩だし大丈夫かと、志穂子は隣に座った志乃を見やった。
「何か変なのに絡まれてたけど、大丈夫?」
‘はい’とも‘いいえ’とも答えにくい質問を投げかける志乃に対し、志穂子は曖昧に笑みを浮かべる。すると彼は、大袈裟に溜息をつきながら志乃に反論した。
「相変わらず志乃はクールだねえ。俺の方は、やりたくなかった委員だけど志乃を見て一気にテンション上がったって言うのにさ」
「はあ、何言ってるの? どうせあんたは立候補なんでしょ」
「え、バレてた? やっぱ志乃は俺のことよく分かってるなあ」
「やめて、うざい」
掛け合い漫才のようなふたりのやりとりに最初は呆気にとられていたが、ついに志穂子は堪えきれずに吹き出した。
「あ、彼女やっと笑った。さっきはかなり胡散臭そうな表情だったけど」
あっけらかんと笑う先輩の言葉に、志穂子は一瞬ぎくりとする。
「当たり前じゃん。あんたみたいに超軽そうな奴がいきなり近づいてきたら、誰でも警戒するって」
「や、そんなんじゃなくて。自分が話しかけられてるとは思ってなくて、びっくりしてました。すみません……」
志乃の軽口を慌てて志穂子は否定した。
「だよねー。こんな爽やかイケメンの先輩に話しかけられて、ちょっとドキッとしただけだよね?」
「えっと、そう言うわけでは……」
「そこは否定するんだ」
そう突っ込まれて、志穂子は自分の失言に気づいた。
「あ、今のは言葉のあやで……」
「君、面白いね。名前は何ちゃん?」
くつくつと肩を震わせながら、男子生徒が名前を尋ねてきた。
「えっと、藤原志穂子です」
「志穂子ちゃんかあ。志乃と志穂で良いコンビだな」
そう言われて、傍らの志乃を見やるとぱちりと目が合った。
「志穂。この人は一応先輩だけど、無視しといても全然オッケーだから」
「志乃ちゃん、それはあんまりじゃないかい? 志穂ちゃん、俺は吉本光。我が校のイケメン御三家のひとりに数えられてるから覚えといて」
「へえ、そうなんですか」
決めポーズ付きで志穂子に自己紹介をした光は、けれども彼女の反応にがくりと肩を落とした。すると志乃が隣で声を上げて笑い出す。
「え、何で笑ってるの?」
「何でも無いよ。ただ、イケメン御三家とやらの他のふたりが気になるなあと思って」
「志乃は相変わらず意地悪だよな。久しぶりだからぞくぞくするよ」
「黙れ、変態!」
意味が分からない会話が続いているが、どうやら‘御三家’は志穂子をからかう為に本人が勝手に言ったのだということはうっすらと想像できた。実際に整った顔立ちだし、軽そうではあるけど気さくでモテそうだし、説得力があったから信じただけなのにそこまで笑わなくてもと思いながら志乃を見やる。
「やっぱり志穂は変わってるね」
そう言えば、以前にも同じ台詞を志乃に言われたことがあるなと思い返す。ただ、あの時は苗字で呼ばれていた筈だ。志乃から名前で呼ばれたことが何となくくすぐったくて、失礼な内容にも関わらず、志穂子は胸のあたりがじんわり温かくなるのを感じていた。
「で、君らのクラスは何やるんだよ? 俺たちのクラスは超本気だから、第一希望が通らなかったら確実に暴動が起きるよ」
「あんたのクラスじゃなくて、あんたが超本気なんでしょ。祭り馬鹿め」
「祭り馬鹿の何が悪い。年に一度の文化祭を楽しまなくてどうするんだよ!」
「はいはい。じゃあ、あんたのクラスは何やるのか先に教えなさいよ」
一歳の年の差なんて完全に逆転し、すっかり志乃にペースを握られているふたりの会話を聞きながら、これほどまでに学校行事に執念を燃やす人もいるのかと志穂子は密かに感心していた。
「クレープ屋とかカフェとかさ、女の子たちをターゲットにしてる店が希望だった俺としては甚だ不本意なんだけど、多数決で……」
「前置きが長い。さっさと言え!」
もったいぶる光にしびれを切らした志乃が口を挟むと同時に、教室の扉ががらりと開いた。
「おーい、全員席に着け。これから委員会始めるぞ」
のそりと教室に入って来た担当教諭が教壇に立ち、結局光はすごすごと二年生の席に帰って行った。
***
二学期が始まり、一週間が過ぎた。
ようやく生活のリズムも戻り、夏休み明けの気だるさも教室から消え去った。けれども志穂子を取り巻く状況が変わるわけでなく、相変わらず気配を殺して毎日を過ごしている。
「あ、藤原さん来た。ちょっとちょっと」
志穂子が登校すると、珍しく女子のグループから声をかけられた。別に無視されているわけではないので、挨拶もするし簡単な会話も普通に交わす。
今までと何ら変わりは無いのだけれど、いざ美奈と恵から距離を置かれてしまうと、志穂子はこれまで如何に自分が他のクラスメイトとコミュニケーションをとっていなかったかと痛感するのだった。
「ねえ、吉本先輩のクラスもお好み焼き屋ってホント?」
「へ?」
朝の挨拶もそこそこに切り出された質問に、志穂子は思わず間抜けな声を洩らした。
「二年A組の文化祭の出し物が、お好み焼き屋かどうかを聞いてるの」
「うん。あ、でも学年がかぶらなければニクラスまでは同じ出し物できるから、うちのクラスも第一希望のお好み焼き屋が通ったよ」
安心させるように志穂子がそう言うと、女子たちは大袈裟に頭を抱え込んだ。
「ちーがーうー。吉本先輩のクラスとかぶるくらいなら、いっそ第一希望が通らない方がマシだよ」
「え、何で?」
どうやら自分のフォローが見当違いだったらしいということは分かったが、何故そんなにも皆が絶望しているのかが志穂子には理解できなかった。
「あのね、吉本先輩は一年の時も文化祭実行委員をやって、売上ナンバーワンに導いたんだよ」
「しかも今年は同じクラスに田中先輩もいるしね。サッカー部とテニス部のイケメンふたりが売り子をしてるというだけで、女子が殺到するに決まってるじゃない」
「はじめての文化祭なのに、お客が来ないとか切なすぎる。いや、いっそ敵情視察と称して何度も覗きに行けるから良いかな」
きゃあきゃあ言い合っている女子たちの様子を、志穂子はただぽかんと見ていた。
「うーんと。何か微妙に気になるんで確認するけど、藤原さん吉本先輩って分かる?」
完全に会話に置いていかれている志穂子に、ひとりの女子生徒が尋ねてきた。
「うん。昨日の委員会で会ったから」
「まさかとは思うけど、昨日はじめて知ったの?」
「……」
曖昧に笑ってごまかそうとした志穂子の様子に、女子生徒たちは顔を見合わせた。
「まさか、田中先輩も知らない?」
「……うん」
「オーマイガー!!」
ひとりが奇声を発した瞬間、予鈴が鳴った。
「とりあえず、イケメン皆無のうちのクラスは圧倒的不利だから、藤原さん何か対策考えてよ」
「え、そんな」
「そうだ。藤原さんのいとこの金澤くんって、家がお好み焼き屋さんなんでしょ? 何かスペシャルメニューとか伝授してもらってよ」
前方の扉がガラリと開いて、担任教諭が入って来る。女子たちは言いたいことだけ言うと、それぞれの席に戻って行った。
2012/05/01