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十二の月を



決断の冬


< 睦月 >

新しい年を迎えても合格するまでは何も変わることはなく、むしろ日に日に焦燥感がつのってゆく。
勉強しなきゃ。体調にも気をつけなきゃ。
授業は二学期で終わり、もはや学校へ行く必要はない。だからもちろん、彼には会えない。
ひたすら過去問を解きながら、もしも全部落ちてしまったらどうしようと脳内を不安が覆う。さすがにA判定の滑り止めに落ちることはないだろうと楽天的になってみたり、今年から出題傾向ががらりと変わってわたしの苦手分野ばかり出たらどうしようと後ろ向きになってみたり。
布団に入るとぐるぐると想像が膨らみ、ポジティブとネガティブの思考の間を行ったり来たりする。そしてついには、わたし以外の受験生がみんなインフルエンザにかかればいいのにとか、とんでもない発想に辿りついてしまう始末だ。
気づけば色んな不安が押し寄せて心の中で渦巻いて、散々悩んだ挙句、最後には悩むことに疲れて無理やり受験勉強という名の蓋をするのだ。

会いたいなあと、ふと思う。机の引き出しを開け、一月四日に届いた年賀状を見る。
きっと会えるのはあと卒業式の日くらいで。もう会えなくなるんだという実感は、あるようなないような曖昧な感覚。伝えるか伝えないか、決断しなきゃいけないのはわかっている。
覚悟ができないわたしは弱虫だろうか? 優柔不断なのだろうか?
でも今は、とにかく勉強しなければならない。問題集のページを捲り、再び思考に蓋をした。





< 如月 >

校舎から外に出るとぴりぴりとした冷気が頬を刺し、息を吐き出すごとに冷たい空気が白く染まる。
低く垂れ込めた灰色の雲からは、ついにちらちらと白いものが降ってきた。雪だ。そう思って空を見上げると粉雪は風に舞い、果たして地上へ降っているのか空へ吸い込まれているのか一瞬わからなくなる。
自分がどこに立っているのか白い景色に紛れてふと見失いかけた瞬間、背後から名前を呼ばれた。
じわり、体温が上昇する。
卒業式までもう会えないと思っていたのに、この偶然に心の底から感謝する。

「登校してたんだ?」
「うん。今日が合格発表だったから、先生に報告に」
粉雪が紺色のコートに落ちて、ゆっくりと溶ける。
「さっき先生に電話したでしょ? ちょうど職員室で先生と喋っていたところで、第一志望に合格したって聞いたよ。おめでとう」
「うん、何とかね」
ほっとしたように、彼が笑う。
「そっちも受かったんだろ。おめでとう」
「ありがとう」
あのブルーのシャーペンを持って受験したんだよ。なんて、恥ずかしいから口が裂けても言えないけれど。
今日おめでとうと言えたことが、そしておめでとうと言ってもらえたことが涙が出るくらい嬉しいと思った。

会話が、ふと途切れる。寒いねと言うから、寒いねと答えた。
「こんな日に手袋忘れてしまって、最悪だよ」
悴んだ手を見せて笑ったら、コートのポケットから出した長い指がわたしの少し赤くなった指の先に触れた。
「本当だ、すっげえ冷たい」

爪先の感覚がなくなるくらい体は冷えているのに、内側の熱が一気に上昇し。
悴んでいた筈の指先に、その大きな手の温もりが確かに伝わってきて。
きっともう、わたし限界だ。





< 弥生 >

泣かないと、人前では泣き顔を見せたくないとそう誓っていたのに。涙が一滴零れたらもうそれを止める術はなく、わたしは恥ずかしいくらいに卒業式の間ぽろぽろと泣いていた。
今日で彼と会えなくなるということはもちろん哀しいけれど、でも涙の理由はそれだけじゃなく。
駅から学校まで延々続く上り坂とか、その高台にある校舎からの眺めとか。朝の誰もいない張り詰めた空気とか、昼の賑やかな教室とか、夕方の校内に響く思ったより大きいチャイムの音とか。
わたしが想像していた以上に、わたしは高校生活を大切に思っていたらしい。

すんと鼻をすすり、照れ笑いする。
「思い残すことがあるから、そんなに泣けるんだよ」
友人は半ば呆れるように溜息をつくと、卒業証書が入った筒でぽかりとわたしの頭を叩いた。
「そうかも知れないね」
彼女の言うことは半分当たりで半分外れていると思ったけれど、とりあえず素直に肯定した。みんなと離れるのが寂しいんだよ。そんなことを言ったら、気持ち悪いと怒られるのはわかりきっているから口にはしない。
「思い残すことがないよう、全部やっていきなよ」
「うん」
わたしが即答すると彼女は驚いたような顔をして、そして満足げに笑った。
「ほら、行って来い。うちらは先に行ってるから、あとでちゃんと報告しなよ」
結局背中を押してもらったけど、でも告白することは昨日の夜に自分で決めたから。

二年の時に同じ委員になって、気づいたら惹かれていた。三年で同じクラスになれて、想いはつのっていった。
一年半の間、密やかに抱えてきたこの想い。
いつの間にか、ひとりでは抱えきれないくらい大きく膨らんでいた。

小走りに階段を駆け下りる。
教室にはいなかったから、もう帰ったのかも知れない。携帯番号なんて知らないし、帰っていたらどうしよう。
もし校内に残っていても、ひとりでいるわけがない。絶対に友達と一緒の筈だから、どうやって呼び出そう。
昨日からずっとどのタイミングで告白するかを考えていたけれど、結局妙案は思いつかず。
ええい、なるようになれ!
足がもつれそうになりながら一階まで下りると、下駄箱の前に彼がいた。
ああ、良かった……。
安堵すると同時に駆け寄って行く。名前を呼んで、そして彼が口を開くよりも先に言った。

「好きです!」

心を決めるより先に、頭で考えるよりも早く。するり言葉が零れ出る。
息を切らし声は掠れた、何と色気のない告白。
どれだけの間、どれほどの想いを抱えてきたか。伝える言葉をずっとずっと探していたけれど、結局最後まで見つからず。口をついで出た言葉は、シンプルなひと言だった。
“好きでした”という過去形ではなく、“好きです”という未来へ繋がる現在進行形。
――今も、そしてこれからも好きです。

「俺より先に言うなよ……」
一瞬の間をおいて、彼は頭を抱えてしゃがみこんだ。
その口から溜息と共に吐き出された言葉の意味を理解するのに、わたしはどれほどの時間を要しただろうか。

不意にチャイムの音が鳴り響く。
恐る恐る互いの気持ちを確認し、それでも実感が湧かずに呆けていたふたりは、その大きな音にびくりと我に返った。
夢の中にいるようなふわふわとした足取りで、とりあえずわたしたちは三年間過ごした学び舎をあとにする。
「寒っ……」
外に出ると思わず声に出してしまうくらいに風は冷たく、そこで少しだけ、これが夢ではないのだと実感した。
けれど、風はあるものの優しい陽光がグラウンドを照らしていて、凛とした冬の空気は柔らかなものへと確実に変化していた。
気づいていなかったけれど、どうやら春は、いつのまにかやって来ていたようだ。



2008/01/29

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