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十二の月を



想いつのる秋


< 神無月 >

今日は、白と紺の比率が逆転する日。
半年ぶりの彼の冬服姿に、妙に鼓動が高まる自分が我ながら恥ずかしい。

「あーつーいー!!!」
「あ、おはよう」
「ったく、毎年毎年、この時期はまだ暑いんだから杓子定規に衣替えなんてナンセンスだっつーの」
「今日は絶対に、朝一番で文句言うと思った」
空の色は確かに秋のそれだが、日差しの強さはまだ夏の名残りを感じさせられる。
予想通り開口一番で不満連発の友に苦笑を漏らしながら、ちらりと前方を見やると、紺のブレザーに身を包んだ彼が歩いていた。
じわりと体温が上がるのは、気温のせいか、気持ちのせいか。
はじめて見るわけでもないのに、夏服になるとその白の爽やかさにどきりとし、冬服になるとその紺の落ち着きにどきりとする。
こんな気持ちを味わうのも、もうこれで最後なのだけれど……。

「あーあ。うちらは花の受験生の筈なのに、あんたは毎日楽しそうでいいなあ」
「べ、別に楽しくなんかないもん」
「わたしも同じ学校に好きな人がいたら、灰色の受験勉強がもっと華やぐのに」
「うわっ、彼氏持ちがよく言うわ。先輩に言いつけるぞ」
いつからかわからないが、たぶん友はわたしの気持ちに気づいているのだろう。きっと死ぬほどからかわれるだろうけれど、死ぬほど応援もしてくれる筈だから。だからそろそろ、白状しても良いのかも知れない。
ぼんやりそう思うと、爽やかな秋の風が吹き抜けていった。





< 霜月 >

進路指導室を出ると、廊下は茜色に染まっていた。
校内に人の気配はなく、グラウンドから微かに運動部のかけ声が聞こえてくる。
そっと教室の扉を開けると、そこには予想外にひとりの生徒が残っていた。

「うわっ、びっくりした」
窓際に立ってぼんやりと外を眺めていた彼の肩が、びくりと震える。
「まだ残っていたんだ?」
「日直だったから日誌書いてて、そのあとぼーっとしてた。いつもの逆だな」
「なんだかその発言、わたしがいつもぼーっとしてるように聞こえるんですけど」
「そういう意味で言ったんですけど」
「うわ、ひどい」
いつからこんな風に話せるようになったのだろう。見つめるだけだった去年の自分に比べると、笑って言葉を交わせるなんて目眩がしそうなくらいに幸せだ。
けれど、幸せにはタイムリミットがある。
たぶん彼に嫌われてはいないと思う。だからと言って、特別に好かれているわけでは決してない。要するに、わたしは三十七人いるクラスメイトのうちのひとりなのだ。

「そっちはこんな時間まで何してたの?」
「先生に進路相談」
「そっか」
自分の席に鞄を取りに行って、少し迷う。もう少し話していたい。
けれども話題が見つからずに不自然な沈黙だけが流れ、結局諦めてじゃあねと声をかけようとしたら、一緒に帰ろうと言われた。

こんな幸運も、卒業したら叶わない。
他愛のない会話ができるのも、冗談を言い合えるのも、一緒に帰れるのも、すべてはクラスメイトだから。
クラスメイトという特権を失うと、それに付随するすべての特典を失ってしまうのだ。
それが怖くて、同じ大学へ行けたら現状維持できるかもなんて甘い夢を見たけれど、結局は本来志望していた地元の女子大を第一希望に決めた。 故に、彼と一緒に過ごせるのはあと僅か。
校舎を出ると太陽は既に沈みかけており、足もとからふたつの長い影が伸びている。日暮れの時間がどんどんと早くなり、自分に残された時間の短さを思う。
すっかり冷たくなった風に身を竦めると、わたしは歩きはじめた彼の背中を追いかけた。





< 師走 >

もうどれくらい、この状況で悩んでいるだろうか。
目の前には白紙の年賀状が一枚。
友人や先生に宛てた年賀状はすべて書き上げ、あと一枚を書くか書かないかで迷っている。
二学期の終業式を終え、実質的に高校での授業は終わってしまった。三学期は自主登校となり、下手をすると卒業式まで会えないかも知れない。だから少しでも自分の存在を思い出してもらえる瞬間が欲しくて年賀状を書こうかと思い至り、けれども変に思われないだろうかと心配になったりもしている。
結局のところ、勇気がないだけなのだ。
わかってる。充分すぎるくらい、自分でもわかっている。

ふと、なんだか滑稽に思えてきた。
たくさん届くであろう年賀状の中にわたしのものが一枚混じっていたとして、そんなことをいちいち気にしないだろう。
クラスメイト全員に送ってるのだろうなと、あっさり流されてしまうだろう。
告白どころか年賀状すら送ることのできない自分に嫌気がさし、わたしはおもむろにペンをとった。

「ちょっと年賀状出してくる」
キッチンで大掃除を繰り広げている母の背中に声をかけると、家の外へ出た。
空は澄み渡っているが空気は刺すように冷たく、フリースの前をかき合せて小走りでポストに向かった。
そのまま勇気が萎えないうちに、年賀状の束を投げ入れる。手もとから離れた瞬間にもう後悔の念が押し寄せてきたけれど、変わらなきゃいけないからこれで良いのだと心を奮い立たせた。
“今年もよろしくお願いします“という何の変哲もない文章の、“今年も”の部分に“卒業しても”という願いを込めて……。



2008/01/25

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